【大学受験】

親と離れたい

振り返ってみると、堕落しきっていた高校生活。

勉強してもいないのに自分には不可能だと
偏差値の高い高校を諦めて、
ろくに勉強もせずだらだらとサッカーを続けた。

3年間何を頑張ったわけでもない。
ただ、ひたすら繰り返してやってくる毎日を
なんとなく生きてきただけだった。


あっという間に3年生の夏休みになった。
多くの人が受験モードに入る。

それと同時に将来を決断する大事な時。


音楽でメシを食いたい奴は専門学校に行くし、
看護師になりたい人は看護学校に行く。

中学から高校に進学するときよりも、
より将来を決定づける一歩となる。

将来を具体的に描いてる友人たちは、
みなそれぞれの目標に向かって走り出した。

その一方で僕は将来なりたいものなど特になかった。
だから大学で専門的に勉強したいことなどなかった。

けれど大学には行きたいと思っていた。
なぜなら「一人暮らし」をしたかったからだ。

両親が比較的厳しかったから、
親と離れて暮らしてみたい、とずっと思っていた。
友人の家に外泊など許されなかったし、
部活帰りにコンビニで友人と夜まで立ち話していたら、
捜索願を出されかけたこともあった。

それだけ心配してくれていた、ということだけれど、
当時はそれが煩わしくて仕方なかった。

夏休みにみんなでBBQして花火して泊ろうなんて
みんなよく誘ってくれたけど、泣く泣く断った。

親に許可をもらいに行ったところで、
絶対に許してもらえない。
けれど友達に「親がダメだって」とも
カッコ悪くて言えなかった。

彼女と2人で貯金して一緒にディズニーランドに行こうなんて
約束したこともある。

小銭をチップスターの箱に少しずつ貯めた。

意外と堅実家だったのでお金は貯まった。
しかし、貯金より大変だったのは親の許可だった。

絶対に許してもらえるはずはなかった。
許可を取りに行くことすら億劫だった。
しかも親が厳しいこと、
絶対に許してもらえないこと、
それを彼女に打ち明けられなかった。

結局お金が貯まらなかったことにして、
彼女には行けないことを謝った。
今考えても本当に最低なことをしたと思う。
彼女の行きたいという気持ちを踏みにじってしまった。

親に許可を取りに行くことすらしなかった。
どうせ無理だと思っていたから。
戦う前から諦めていた。

そんな感じだったから、大学に行きたいというよりは
「親と離れたい」という思いで大学に進学したかった。

見て見ぬフリ

僕が掲げていた条件としては、この2つだ。


・「一人暮らしができる距離」

・「少しでも興味のあること」

一つ目のひとり暮らしに関しては
キャンパスの位置で決めればいいだけなので、
比較的飛びやすい低めのハードルだったが、
問題は二つ目である。

どれだけ捜索しても興味のあることが見つからなかった。
いや、目を逸らしていたというべきか。

サッカーの指導者をやってみたい、
音楽を真剣にやってみたい、
そんな風に思ったこともあった。

しかし、そのやりたいことを達成するためには
普通の大学に進学したのでは、
確実に遠回りだった。

しかし、他のみんなと違う道へ逸れる、かつ、
成功するかどうかも分からない、未知の領域。
それに加えただでさえ、狭き道である。

ましてや人生の大きな分岐点となれば、
尚更そんな決断をすることなんてできなかった。
そんな勇気はなかった。

そんな風にして少しでも興味のあったことを
見て見ぬフリをして選んだのが「外国語」だった。

中国語との出会い

心の片隅に、
「外国語話せたらかっこいいな」という気持ちがあった。


本当にそれだけの理由で外国語学部に進学しようと決めた。


サッカーの指導者になりたい、とか
音楽やって見たいという気持ちの方がはるかに大きかったけれど。

結論から言うと大学では中国語専攻だったのだが、
今でもよく「どうして中国語?」と聞かれる。

中国に興味があったわけでも、
中国人の友達がいるわけでもない。

ただ単に「スタートラインがみんな一緒だった」からだ。

英語だと、高校でみんな勉強してるから、
ある程度の学力の差がついた状態から勉強が始まる。

完全に自分の英語の出来なさを棚にあげた思考だったが、
みんなでよーいスタートできる状態が良かった。

だからスペイン語でもフランス語でも良かった。

首都圏にある大学でそんなにもう勉強せずとも入れる
ちょうどいい学力のところが、
たまたま中国語専攻だったのだ。

決して王道とは言えない理由で、
僕は「中国語」と出会った。

タイトルとURLをコピーしました