【高校時代】

高校生前半戦

いつの間にか例の
“お金持ち優美女巨乳”なんかとっくに忘れ、
なんとなく受験して通った近所の県立高校普通科。

当時の僕の描く理想の高校生は、
彼女を後ろに乗せて自転車2人乗りしたり、
授業をサボって屋上で寝たり、
不真面目だけど成績優秀スポーツ万能、
そんなドラマの主人公のような生徒だった。

それが僕の“理想の高校生”だったのだ。

彼女を乗せて2人乗りもしてみたし、
授業をサボってみたりもした。
(屋上で寝る勇気はなかったけど。)

通学時間は、家から自転車で15-20分くらいだ。

通学路は田んぼばかりなので、
よく大声で熱唱しながら自転車をこいだのを思い出す。

高校時代はみんな同じような境遇なので
全く気付かなかったが、
都会の人からすると、
自転車で20分!?遠っ!らしい。

田舎の高校生は賛同してくれるだろうが、
自転車で20分で着くならまだ近い部類だと思う。

電車で1時間以上かけてくる人も珍しくないし、
自転車で1時間半かけて通学していた友人もいた。

栃木を離れ都会に暮らして8年くらい経つけど、
都会を知ってしまうと、田舎は不便すぎて住めない。

駅に行って少し待てば電車がくる都会と違って、
電車の時間に合わせて駅に行くのが普通である。
そのために、田舎には紙の時刻表というものが存在する。
一家に1枚は必須だ。
(現代ではさすがにスマホになり変わりつつある)

そもそもどこに行くにも車が必要なのだから、
自転車で行ける場所はもう「近所」と呼べる。
徒歩圏内は「庭」だ。

そんな高校時代、僕はまたサッカー部に入った。

2度も敵前逃亡しているのに、
それでもまだサッカー部に入ったのは、
サッカーが好き、ということなのだろう。

【報われない努力はしたくない】
【そして他に特にやりたいこともない】
という但し書きは付くが。

言わずもがなレベルの高いチームではなかった。
結局3年間で1度も公式戦できちんと勝った記憶はない。

そう考えると、小学校から高校までの12年間、
公式戦で勝ち上がった経験なんかなかった。
ずっと弱小チームに所属し続けた。
チームの中で上手な選手という状態を続けた。

自分より圧倒的に上手い奴がいない、
そんなお山の大将状態に満足していたのかもしれない。

結果的に、僕は向上心のない男になった。

自分より上手い人ばかり、
つまりレベルの高い環境の中でやったのは、
県の選抜チームに選ばれたときだけかもしれない。

栃木県内の各地区の選抜選手が集まり選考会が行われ、
そこで合格したわずか30人ほどが選ばれ結成したチームだ。

僕がセレクションを目の前に敵前逃亡した
あの天下の栃木SC Jr.からももちろん
各チームのお山の大将が集まってくる。

なぜ何度も敵前逃亡し続けてきた僕が、
そんな県選抜チームのセレクションを受け、
そして受かったかというと、
セレクションに強制的に行かされたからだ。
地区の選抜選手として、選ばれたのだ。

いや、ここではあえて、
選ばれてしまった、
受かってしまったという言い方にしておこう。

なぜなら受けたくなかったからだ。
合格したあとも県選抜の練習会に行くのが、
嫌で嫌で仕方なかった。

井の中の蛙大海を知らずだったから、
自分が通用するのかとも思ったし、
仲の良い子が1人もいないというのもあった。
新しい環境に飛び込むことにも恐れていた

しかし選ばれた以上、僕に
「受けない」という選択肢はなかった。

まさか「受かるか分からないのでやめます」とか
「新しい環境に飛び込むのが怖いから辞めます」なんて
そんなことを切り出して辞退する勇気はない。
そんなカッコ悪いことはできない。
あくまでも周りからいい眼で見られたい。
向上心はないけどプライドは高かった。
どうしようもない奴だ。

高校時代、サッカー部では副キャプテンになった。
しかし、巨乳お金持ちの美女を忘れていた僕にとって、
もはやサッカーはただ趣味の1つ、
“理想“の高校生の一役を担うもの、
もしくはただの暇つぶしになっていた。

高校生後半戦

1年生と2年生のときは、
顧問の先生がサッカー専門でなかった。
だから専門的な指導も受けていない。

先輩方はそれでも、自分達で考えて実践して
県内の強豪チームとも互角にやり合えるくらい強かった。


だがその先輩が引退して、
僕らが一番上の代になった2年生後半からは
僕だけでなくみんなやりたい放題だった。

練習の遅刻は当たり前、
ウォーミングアップもろくにせず、
辛くて地味な基本練習なんて
せず楽しいゲーム形式の練習を1時間だけして、
部室で漫画を読んで適当に帰る。

無断欠席も当たり前で、
暇だから練習に行くか〜
あ、でもやっぱりカラオケ行くか!という感じだった。

チームが強くなるという観点では、
確実によくないことだけれど、
「強くなりたい!」というモチベーションも
大して高くなかったから
僕は、着実に“理想”の高校生を遂行していた。

その頃から僕がハマったものがある。
それがギターとの出会いだった。

理想の高校生と言ったら、
学園祭でバンドだろ!と単細胞だった僕は、
とりあえず家にある母のアコースティックギターで、
コードを抑える練習を始めた。

部活も勉強も一生懸命ないわゆる世間の言う
忙しい“理想の高校生”ではないから、
幸い時間だけはあった。

しかしこれが難しい。
小さい頃からエレクトーンと
ピアノをやっていたから、
コード理解や楽譜は読めたが、
鍵盤楽器以外は初めての挑戦だった。

よくいう有名な“鬼門の「F」”問題である。
(ギター初心者がぶち当たる問題。
抑えるのが難しいのでこれで挫折する人が多い)

結局Fが弾けず、2度は挫折した。

しかし肝っ玉が小さかった僕も、
この挫折にめげずに
3度目の挑戦をした。
僕の“理想の高校生”になるために。
セレクションとか進学とかと比べれば、
物事の規模的にも取り掛かりやすかったのだろう。

なによりセレクションや受験に比べて
たとえ「失敗」しても
周囲の評価や自分自身的にも
ダメージが少ないのである。

努力したら報われる可能性が
極めて高いからかもしれない。

ギターは自分に水があったのか、
とことん練習したのを覚えている。

この年の子供は母親に、
「ゲームばっかりしてないで勉強しなさい!」
と怒られるのが定番だが、僕の場合、
「ギター ばっかり弾いてないで勉強しなさい!」
と怒られた。

それくらい本当にずっと練習していた。

そしてなんなく
「F」も攻略し、また一歩、”理想“に近づいた。

そして待ちに待った、学園祭でバンド演奏。


しかし未だに覚えている大失敗をした。

カポタストの付け間違い。
キーを間違えたのだ。

(少し専門的な話になりますので音楽に興味ない方はご割愛ください)


あらかじめ2曲目のチューニングに合わせていたが、
その事を考慮せずカポをつけたのだ。

1人だけ明らかに音が違う。


高校生らしいミスといえば高校生らしいが、
バンドマンとしてはあるまじき行為である。

ギターのソロから始まる曲だったので、
弾き始めて速攻で気がついた。
途中でカポを動かせばよかったのだが、
パニクリすぎてそんな対応力はなかった。
幸いギターボーカルだったから、
あまりギターを弾かず歌に熱中するフリをした。

今では笑い話にできるけど、
未だにAsian Kung-fu generationのソラニンは、
トラウマとしてしっかりと心に刻まれている。

そして荒れ放題だったサッカー部はというと、
3年目になって、
サッカー専門の顧問がやってきて、
劇的に変わった。
しかしそれは“強くなった”と訳ではない。

サッカーを通して、人間として成長させる、
をモットーに指導する顧問がやってきたのだ。

彼は僕の“理想”クラッシャーだった。


サッカー部員全員の学校生活の隅から隅まで、
徹底的に直しにかかったのだ。

お辞儀の角度はもちろん、
こんにちは、の発音、そして
各教科の宿題提出の有無にまで網を張られた。

僕の高校生としての“理想”をすべて撤廃されたのだ。


サッカー部員皆戦々恐々である。

なぜなら自転車で2人乗りをしていたり、
挨拶の仕方がよくなかったり、
宿題の提出を忘れたり、
ともかく“高校生”としてよくない行いがバレたら
部員全員の前で罪状と被告人が発表され、
連帯責任でチーム全員でダッシュをさせられるのである。

自分だけならまだしも、
連帯責任なので下手なことことはできない。

1人が宿題を出し忘れただけで、
皆、階段ダッシュ1階から3階まで100本させられたら
たまったもんじゃない。

しかしそういう風に縛れらることで、
逆にチームメイト同士の絆は深まったりする。

顧問の抜き打ち部室チェックの情報を掴んだときは、
協力して漫画やエロ本を隠し抜き、
合宿遠征の時は顧問の目を盗んで
ここぞとばかりにふざけてやろうと
当時はやっていたKARAの腰振りダンスをしてみんなで馬鹿騒ぎした。


だから、ある意味ではアホ全開の
“理想”の高校生はできたかもしれない。

そして結局例の如く、
最後の大会も初戦敗退。
確か9点くらい取られて負けた気がする。

涙なんか一滴も出なかった。

テレビ放映される選手権大会や甲子園では、
敗れたチームの選手たちがロッカールームで
涙を流すシーンがあるけれど、
あれは負けて悔しい、応援してくれた周りの人の期待に
応えられなかったから、だけではないと思う。

今まで雨の日も風の日も
一生懸命目標のためにしてきた努力の量に比例する。

相手より努力してきた自信があるから、
「報われなかった」と負けて悔しいのだ。

しかし、努力の量に関しては、
自信をもって、胸を張って負けていると言えた。

もちろん負けて、
見に来てくれた父親の期待に応えられなかったことは
とても悔しいけれど、
吹けば飛ぶ量の努力すらしてこなかった僕に、
流れる涙なんかなかった。
逆にこんな試合を見せてごめん、と申し訳なく思った。

きっとこんな高校生活を送らせるために、
毎日残業して高額の授業料を払ってくれていたわけではない。
本当に合わせる顔がなかった。

確かに楽しいサッカー部生活だった。
けど、本心かと言われると、それはNOだ。

心のどこかで、堕落した生活を送っている自分に
毎日危機感を感じていたからだ。

「こんな高校生でいいの?」と。

もっときちんと練習しておけばよかったなとも思ったし、
本気で打ち込めばよかったと思う。

たらればになるけど、
1年生の時からきちんと顧問の先生がいたら、
なんて思ったこともある。
(理想クラッシャーなんて言ったが、
顧問の先生にはいろいろ感謝してもしきれない)

けれど結局やらなかったのは自分で、
周りは何も悪くない。

小学校、中学校、高校とサッカーを続けたけど、
高校時代が1番真摯にサッカーと向き合わなかった。

今振り返ると「なんとなく」過ごしてしまった感がすごい。

一応名前だけは進学校だったから、引退は夏。
それ以降は受験に向けての勉強になる。

こうして“理想”の高校生像を追い求め続けた高校時代の
最後の夏も呆気なく終わった。

こうして何度もあった人生の分岐点を
楽な方楽な方を選び続けてきたここまで。

大学受験、大学生活、そして社会人生活と
刷り込まれた“楽する癖”はどうなるのか。

次回は大学時代!

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