【小学校時代】

キャプテン、改めパワハラ上司

姉の影響で、サッカーを始めた。
大好きで毎日ボールを蹴った。

毎日リフティングの練習をしては、
できた回数を記録し喜んで両親に話した。

「今日ね、17回できたよ!」

目標は毎日練習することから、
前日の記録を超えることになり、
いつの間に100回、500回、と具体的になっていく。


Jリーグ選手名鑑を見ては選手を覚え、
テレビにかじりついて試合を見た。

サッカー好きの父親の熱心な指導もあり、
実力はメキメキと成長した。
当たり前のように夢は、
Jリーガーになりたい」だった。


それからは地区や県の選抜チームに選ばれるなど、
成長曲線は順調に右肩上がり。

実力を買われてキャプテンになった。
チームは弱かったけど、チームを一生懸命引っ張った。

父親に「Jリーガーになって契約金でローン返す!」
なんて言っていたのを思い出す。

あの頃は本気だった。
本気でJリーガーになろうと思っていた。

その一方でキャプテンになって、
周りより上手いと威張っていたから、
当時僕は、天狗になっていたのだろう。

試合中に一緒に戦う仲間に、
何やってんだよお前
ちゃんとやれよ
と貶しの野次をするようになった。

自分なら問題なくできるプレーが、
チームメイトにはできない。
人にできるできないがあるのは当たり前。
それをカバーするのがチームなのに、
僕はチームが弱く、試合に勝てない苛立ちも
相まって味方に暴言を吐いていた。


売上が上がらないことを部下のせいにする
正真正銘のパワハラ上司である。

もちろんちゃんとやっていない、
やる気がないのであれば適格な指摘だ。

しかし、彼らはミスしよう!
と思ってやっている訳ではない。
一生懸命にやった結果、
ミスをしてしまっただけなのだ。

上に立つ者が自分のチームの空気を
悪い方向に持っていく必要などひとつもない。

完全にキャプテン、そして人間失格である。

周りのチームメイトも僕のことを
怖いと思っていたのではないだろうか。


きっと、キャプテンとしても
そして人間としても、
僕のことが嫌いだった子もいたはずだ。

何度か、嫌われてるのでは、と思った節もある。

そりゃそうだ。
パワハラしてくるクソ上司は、
サッカーの試合に限らず日常生活でもごめんだ。

自業自得ながらも
僕は当時、疎外感を感じたこともあった。
自分がパワハラで訴えられていることに気付かず、
相手にされない、と1人で寂しくなっていたのだ。

しかしラッキーなことに、
そのパワハラを指摘してくれた大人がいた。
地区の選抜チームのコーチだ。
試合の合間の時間に僕を呼んで話してくれた。

自分が逆の立場だったらどう思う?

このパワーワードは、当時のパワハラ上司にとって
まさに青天の霹靂であった。

僕は「パワハラしていたのか」と。
(もちろん当時パワハラなんて言葉はなかったけど)

僕が出した答えはいろいろ巡り巡って、
「空気を読む」だった。

僕が逆の立場だったら、
僕は間違いなく敬遠したいパワハラ上司だ。
だからこそこんなこと速攻止めなければいけない。

そして自分が逆の立場だったらどうしてほしいか。
試合中ならドンマイ!と言って勇気付けて欲しいし、
ナイスプレー!と褒めてほしい。

試合中けなしてもその子は上手くならないんだから、
上手く行く確率が上げてやれるように、
モチベーションを保てるようにしよう。

チームのいい空気、輪を乱さないようにしよう。
ポジティブに振る舞おう!


巡り巡ってここに落ち着いたのだ。
それは上に立つ人間には当たり前で、
上に立たなくても仲間としても当たり前である。

怒っていたり悪口を言ったりしていると、
本人を傷つけるだけでなく、
周りも嫌な気持ちになる。
ネガティブなことを言われたら、
周りもネガティブな気持ちになる。
その場の空気が悪くなるからだ。

それからは試合中だけではなく、
普段の生活でも、
空気を読む、ポジティブ精神は意識している。


常に相手がどう思うか、
これを言ったらどうなるか、
考えて発言するようにしている。

もちろん間違っていることや思っていることは
はっきりと言う。
僕の「空気を読む」とは
日本人特有の「周りに合わせる」
という意味だけではなく、
「場をいい空気をいい状態で保つ」
という意味でもある。

その上で人を傷つけるような言葉を
使ってはいけないのは当たり前。
それは前提として、
ミスった人にどんまい!と声をかけて労い、
お願いごとをされたら、
余裕任せろとポジティブマンになるし、
面白いと思えば身体を張って笑いを取る。

それは場の雰囲気をいい状態に保つために、
いや、僕自身が誰かに嫌われないために、
あれ以来自然と心掛けているのかもしれない。

幸運なことに、
今は「明るい」とか「元気だね」とかうるさい と
周りに言ってもらえることが多い。

でもそれはあの青天の霹靂が教えてくれた、
チームの空気を乱さない、
他の人がモチベーションを保てるように行動する
というのが僕の根底にあるのだろう。

その一方で
そんなキャプテンにもひとつだけ、悩みもあった。

最大の後悔「戦わずして負け」

それは身体が小さかったこと。
背の順で並んだらいつも1番前だった。

当初は背の低さを技術でカバーできた。
しかし、高学年になるにつれて、周りが大きくなると
技術を出す前にタックルで潰されてしまうのだ。

試合でも競り合いで負けることが多く、
身体が小さいことへの劣等感を
強く感じていた。

「背が低いね」
「小さいね」

今でこそなんとも思わないけど、
当時はこう言われるのがすごく嫌だった。

悔しかった。
好きで小さくなったわけではないのに。

毎日牛乳を1リットル飲んだ。
ご飯もたくさん食べた。

けれど背はなかなか伸びてくれない。
競り合いで勝てない。
試合中、身体を当てられると吹き飛ばされた。

小学校もそろそろ卒業という時期になり、
人生最初の大きな決断をするときだった。

父親に地元のプロサッカークラブ、栃木SCの
Jr.チームのセレクションを受けたら?と勧められる。

中学校のサッカーではなく、
よりレベルの高い環境に身を置くことで、
自分を成長させられる最高のチャンスだった。

しかし、僕は、セレクションを受けなかった。

新しい環境に身を置くこと、
より高いレベルに挑戦すること、
失敗すること、
仲のよいチームメイトと別々の道を行くこと、
そしてなにより、

「背の低い自分には無理だ」
「どうせ受かるわけがない」

そう思ってしまった。

実際メッシだって小柄だし、
去年のJリーグのMVPだって160センチくらいしかない。

誰に教えられた訳でもないけど、
「小さいのは通用しない」と
思い込んでしまった。

身体が小さいなら、
それを技術でカバーできるよう
もっともっと練習しないといけない。
小さくても絶対やってやる!

スポーツ選手にもっとも必要とも思える
“ハングリー精神”は、
若き日の僕には芽生えなかった。

自分で自分の可能性の扉を閉ざした。


結局、地元の中学へと進学、
サッカー部に入部した。

ここから僕は自分の人生は、
楽な方、楽な方へと転がり落ちていく。

僕は戦わずして、負けを認めた。

人生最初の後悔は、
僕の中で最大の後悔となった。

次は中学校時代へ!

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